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京都細見

京都細見

商品コード: ad60004

著者: 内藤 益一

発行日: 2000年10月10日
判型: A5判
頁数: 413ページ
書籍コード: ISBN978-4-900659-55-X C0021
定価:2,750円 (本体価格:2,500円)

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交差点を掲げて目次とした。目的地の大体を巻末の地図にプロットしてある。

新撰組の京都を歩く (2004.1/5)

今年の大河ドラマは「新撰組」である。 多分、例年のごとく、本編の後にゆかりの場所の紹介があるだろう。その前に、京都に限って、それも小社の出版した内藤益一先生の『京都細見』中から抜き出して、事件の場所の略図を入れた。京都散策の一助になればと思う。 ※リンク箇所は地図を表示します。見出しの行頭数字は書籍の見出し番号、。行末は頁。合わせて目次もご参照ください。 壬生界隈と西本願寺界隈59 壬生界隈と西本願寺界隈 新撰組が京都に現れたのは、江戸時代の末期、勤王か佐幕かで大騒ぎになっていたときである。文久三年(1863)2月であった。「屯所は壬生寺のそば、八木源之丞宅と前川荘司宅。狭い道路一つをへだてている。隊員の多くは近所に分宿した。」「寺の東側の坊城通りに八木家の古い邸が残っている。その東向かいに前川家の長屋門が見える。」 「最初、組の筆頭は芹沢鴨。」「文久三年(1863)9月18日の夜、芹沢を粛正し、近藤が局長となる。」芹沢が寝ていたのは八木家の一室であった。   島原界隈31 島原界隈 壬生寺の南は、一面の田圃であった。その先に島原の廊が望まれた。 また、「西本願寺の西方に当たる。花屋町を大宮から二百米ほど西へ行った突き当たりに大門がある。」「角屋と輪違屋とは立派に保存されてはいる。」 輪違屋の深雪大夫が近藤勇に身受けされている。 「新撰組が名を挙げたのは、元治元年、1864、6月の三条池田屋事件である。」新撰組といえば池田屋を連想する、切っても切れない事件である。 蛤御門界隈出雲路橋界隈61蛤御門界隈と出雲路橋界隈 同じ年の7月19日、蛤御門の変が起こった。そのころ、新撰組は「日中は仙洞御所前の警備に就き、夜は南門を固めた。」戦いは長州の惨敗であった。 この変の最中に入江九一も戦死した。その墓が「鞍馬口通りの出雲路格の西の上善寺」にある。敵であった越前兵が葬ったのである。   二条城界隈24 二条城界隈 幕末京都の幕府側の中心地である 三本木界隈62 三本木界隈 変後,桂小五郎は、「姿を消した。幕府方探索の的となり、三本木の料亭吉田屋に潜んだ。芸妓の幾松がついている。突然、新撰組の御用改めがあり、主人の知らせで辛くも秘密の抜け道から裏の河原に逃げた」。 白川藩邸72 白川藩邸 当時、土佐藩邸は白川にあった。陸援隊の本拠がここにおかれていた。慶応3年か4年のことになる。戸沢寿郎がここを出て大阪へ向かうため、高瀬川の船入に向から途次、荒神橋の東詰に来たところ、沖田総司によって斬られた。司馬遼太郎さんが『新撰組血風録』の中の「菊一文字」で取り上げている。 やがて、提灯の群れが、眼の前にきた。 「そこに」 と沖田がいった。 「戸沢鷲郎がおられますか」 「何者だ」 「新選組の沖田総司です」 戸沢。―― ツツ、と踏み出し、大きく飛びこんで、剣を抜きあげた。が正確にはその剣がわずかに鞘を離れきった瞬間、戸沢の笠が破れ、脳天が割れ、飛びこんだ姿勢のまま、勢いよく沖田の足もとにむかって頭からのめり、どさっと倒れた。即死している。 沖田は、前を見た。左下段に構えながら、 「私の用は済んだ。これで引きあげますが、おひきとめになりますか」 と、年長者らしい男をみた。 もっとも、見事な一場面である。   壬生界隈と西本願寺界隈59 壬生界隈と西本願寺界隈 「隊員の数が増えるにしたがって、壬生では収容しきれなくなり、慶応元年(1865)四月下旬、西本願寺集会所に移転した。壬生にいたのは2年間である。」まもなく「西本願寺の南方に新屯所を設立した。」「不動堂村屯所」である。「新屯所にいたのが約二年半」である。   河原町蛸薬師界隈69 河原町蛸薬師界隈 慶応2年1月23日、伏見の寺田屋にいた坂本竜馬が襲撃され、あやうく難をのがれた。 しかし、翌年の11月15日、竜馬は中岡慎太郎と、近江屋にいたところを磨われ襲われ、殺された。この犯人は新撰組といわれたが、説が分かれており、今もってはっきりしない。   木津屋橋界隈70 木津屋橋界隈 その3日後の11月18日、新撰組は伊東甲子太郎を七条の油小路で斬った。伊東は新撰組の幹部であったが組を脱退した後、襲撃されたのである。 1か月後の12月7日、陸奥宗光らが、竜馬の敵討として、三浦休太郎をねらい、新撰組と飲んでいた三浦を天満屋に襲った。油小路花屋町にあった。   この2日後が、王政復古である。   明けて慶応4年1月3日、鳥羽伏見の戦が起こった。 新撰組は伏見の御香宮の南にいた。戦いは幕府側が負けた。 幕府軍は京都を去り、新撰組も去った。   新撰組が京都に滞在したのは、わずか4年半にすぎない。

目 次

まえがき

前編 京の街の歴史を歩く

1 祇園界隈 久安三年(一一四七)六月、平清盛、神輿に矢を放つ
2 岡崎界隈と祇園町裏通り界隈 保元元年(一一五六)保元の乱
3 大内裏界隈 平治元年(一一五九)平治の乱
4 六波羅界隈 平治の乱後、平家全盛を迎える
5 八条大宮界隈 仁安元年(一一六六)清盛、六波羅から西八条に移る
6 鹿ケ谷界隈 治承元年(一一七七)六月二十六日、鹿ケ谷で平氏打倒の密議
7 七条束大路界隈 寿永二年(一一八三)七月二十五日、平家、木曾義仲に追われる
8 堀川六条界隈 寿永四年(一一八五)十月、源義経、襲われる
9 二条柳馬場界隈 延元元年(一三三六)南北朝に分裂
10 東山安井界隈 暦応三年(一三四○)十月六日、佐々木道誉、門跡寺院を焼き払う
11 東洞院万寿寺界隈 康永元年(一三四二)土岐頼遠、上皇の御車に矢を射かける
12 堀川今出川界隈 正平五年(一三五○)高師直、斬殺
13 大宮今出川界隈 応安七年(一三七四)観阿弥の能、認められる
14 室町今出川界隈 永徳元年(一三八一)花の御所、落成
15 西洞院二条界隈 嘉吉元年(一四四一)嘉吉の乱
16 上御霊界隈と岩倉長谷界隈 応仁元年(一四六七)正月、応仁の乱、勃発
17 室町四条界隈 天文九年(一五四○)頃、武野紹鴎から千利休へ
18 新町被馬口界隈 天正五年(一五七七)松永弾正、爆死
19 下長者町堀川界隈 天正十年(一五八二)五月二十八日、明智光秀、愛宕仁連歌の宴
20 本能寺界隈と下立売室町界隈 天正十年(一五八二)六月二日、本能寺の変
21 小栗栖界隈 天王十年(一五八二)六月十三日、山崎の合戦
22 粟田□界隈 天正十年(一五八二)六月、山崎合戦後、斉藤利三の首が盗まれる
23 小川出水界隈と新町蛸薬師界隈 天正十年(一五八二)本能寺の変の後、家康避難
24 智恵光院中立売界隈 天正十四年(一五八六)豊臣秀吉、聚楽第をつくる
25 伏見桃山界隈 慶長二年(一五九七)豊臣秀吉、伏見城をつくる
26 四条大橋界隈 慶長八年(一六○三)出雲のお国、登場
27 七条大和大路界隈 慶長十一年(一六○六)大矢数、始まる
28 高瀬川界隈 慶長十六年(一六一一)高瀬舟、就航
29 南六波羅界隈 慶長十九年(一六一四)大仏開眼のもめごと
30 鷹ケ峰界隈 元和元年(一六一五)本阿弥光悦、寺芸術村をつくる
31 島原界隈 寛永十七年(一六四〇)島原、出現
32 六条新町界隈と常照寺界隈 寛永二十年(一六四三)八月二十五日、吉野太夫、死す
33 新町綾小路界隈 元禄十年(一六九七)坂田藤十郎、恋をする
34 両替町押小路界隈 正徳四年(一七一四)中村内蔵助、闕所追放
35 上御霊中町界隈 正徳六年(一七一六)尾形光琳、没
36 二条寺町界隈 寛保三年(一七四三)尾形乾山、没
37 真葛ケ原界隈 安永五年(一七七六)池大雅、没
38 四条烏丸界隈 天明三年(一七八三)与謝無村、没
39 四条寺町界隈 寛政七年(一七九五)円山応挙、没
40 河原町荒神口界隈 文化六年(一八○九)上田秋成、没
41 高倉仏光寺界界隈 天保十年(一八三九)三月、豊年おどり、始まる
42 室町中立売界隈 天保年問、小川可進、煎茶によって一家をたてる
43 熊野神社界隈と西賞茂界隈 明治八年(一八七五)十二月十日、太田垣蓮月、没

後編 京の街の幕末を奔る

44 丸太町橋西北界隈 天保三年(一八三二)頼山陽、死す
45 一乗寺下り松界隈と一貫町界隈 安政五年(一八五八)村山たか、大獄で活躍
46 葉山観音界隈 安政五年(一八五八)九月七日、梅田雲浜、逮捕される
47 堀川二条界隈 安政六年(一八五九)橋本左内、安政の大獄に死す
48 丸太町橋東詰界隈 文久元年(一八六一)田中河内之介と清川八郎、大いに語る
46 中書島界隈 文久二年(一八六二)四月二十三日、薩摩藩士、同志討ち
50 東本願寺界隈 文久三年(一八六三)一月五日、一橋慶喜、初めて京にのぼる
51 三年坂界隈 文久三年(一八六三)一月二十七日、攘夷志士集まる
52 満足稲荷界隈 文久三年(一八六三)二月二十二日、足利三代の木像首がさらされる
53 宮川町界隈 文久三年(一八六三)三月のある日、勝海舟、襲われる
54 猿ケ辻界隈 文久三年(一八六三)五月二十日、姉小路公知、暗殺される
55 寺町広小路界隈 文久ご一年(一八六三)八月十八日、三条実美等、七卿落ち
56 堀川花屋町界隈 文久三年(一八六三)八月十七日、本圀寺の惨劇
57 神泉苑界隈 文久三年(一八六三)渋沢栄一、一橋慶喜に仕える
58 石薬師御門界隈 文久三年(一八六三)九月二十四目、天誅組の乱終わる
59 壬生界隈と西本願寺界隈 元治元年(一八六四)六月五日、新選組池田屋に斬り込む
60 六角大宮界隈 元治元年(一八六四)七月、平野国臣、刑死
61 蛤御門界隈と出雲路橋界隈 元治元年(一八六四)七月十九日、哈御門の変、起こる
62 三本木界隈 元治元年(一八六四)七月、桂小五郎、潜伏
63 錦小路東洞院界隈 元治元年(一八六四)西郷隆盛と坂本竜馬が初めて会う
64 木屋町姉小路界隈 慶応元年(一八六五)五月十一日、武市半平太、切腹
65 烏丸今出川界隈 慶応二年(一八六六)一月二十一日、薩長同盟、成立
66 伏見界隈 慶応二年(一八六六)一月二十三日、坂本竜馬、難を脱する
67 若州屋敷界隈 元治元年(一八六四)十一月、第一次征長 慶応二年(一八六六)六月、第二次征長
68 二条城界隈 慶応三年(一八六七)十月十五日、徳川慶喜、大政奉還する
69 河原町蛸薬師界隈 慶応三年(一八六七)十一月十五日、坂本龍馬、中岡慎太郎、斬られる
70 木津屋橋界隈 慶応三年(一八六七)十一月十八目、伊東甲子太郎、暗殺される
71 油小路花屋町界隈 慶応三年(一八六七)十二月七日、陸奥宗光等、天満屋仁切り込む
72 自川界隈 慶応三年(一八六七)十二月八日、田中光顕、高野山に挙兵
73 岩倉実相院界隈 慶応三年(一八六七)十二月九日、岩倉具視、王政復吉をなしとげる
74 鳥羽伏見界隈 慶応四年(一八六八)一月三日、鳥羽伏見の戦い
75 河原町御池界隈 明治二年(一八六九)三月、東京遷都後の京
76 木屋町二条界隈 明治二年(一八六九)九月四日、大付益次郎、襲われる
77 土手町竹屋町界隈 明治十年(一八七七)五月二十六日、木戸孝充、死す
78 石薬師通り寺町界隈 明治十一年(一八七八)五月十四日、大久保利通、暗殺される

[前編 京都の街の歴史を歩く]初出誌
[後編 京都の街の歴史を歩く]初出誌
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